Koji Nakamura Online Desk
Burnsall, Dale, a well-kept villege in YorkShire, UK photographed by Koji Nakamura in 2005
# PROFILE  Koji  Nakamura
# Books and Papers:著書・論文
# Global Education : 国際理解@
# Integrated Studies: 総合演習B(国際理解)
# TEFL Education :英語科教育法I II
# Global Topics I, II 上級英語
# International Society and Japan 
 for CUBE Students[国際社会と日本]
# Cross-Cultural Communication: 基礎英語I文学部
#Japan Studies for Excahnge Students 留学生
(Japanese Literature and Culture ) Spring
(International Education and Japan) Fall
# JICA Japan Studies (Culture/History/Education)  
# Website for Konan Univ. 
# Website for KILC 

甲南大学 中村耕二 Koi 's Self-introduction
 Video (動画)

 E-Mail: koji@konan-u.ac.jp
Koji's Profile from JapanTimes 

     Koji Nakamura is Professor of English and International Education in Konan University, Kobe Japan. He is former Dean of the Institute for Language and Culture (2001-2002). He was an exchange teacher from Kobe to Seattle, Washington (1982-83). He has been an invited Lecturer of Japan Studies in Japan International Cooperation Agency (JICA) since 1994. He was a visiting professor in the University of Leeds, UK (2004-2005). He is teaching "Global Topics" for Japanese students as well as Japan studies (Culture and Education in Japan) and (International Studies and Japan) for exchange students from Europe and North America. His recent reserach is the compatibility of British identities with European citizenship as a lesson for Japanese Identities within Asia. His major interest is the integration of global citizenship education for peace into EFL education in Japan, nurturing students' cultural literacy, cross-cultural literacy and global literacy. 
     He was born in Kobe, Japan in 1949. He loves Kobe and he is a genuine Kobeite to the core. However, he belives that he has several homes such as Yorkshire and Shropshire in UK and Seattle, Washington in USA, where he made friends with many good citizens, the salt of the earth. His ideal in today's divided world is to become a transnational and supra-national citizen without losing several layers of his or her own cultural identities for the purpose of human solidarity, coexistence and sustainable society.   

 日本語と英語:外来語の      英語と日本語の魅力:外来語の受容          


 日本は広義には漢字という外来語を創造的に取り入れ、独自な言語文化を発展させました。日本語は表意文字である漢字と音節文字である平仮名、カタカナの優れたハイブリッドです。日本語は漢字の表意性のおかげで、柳田国男が言うように読み飛ばすことができ、文章を読む速さは他の言語に勝るとも劣らないと思います。さらに日本語には2000年の歴史を越えて現存する「有難う」「遊び」「間」「道」「わび」などのやまと言葉があります。また、日本の言葉には昔から言霊が宿り、言葉の不思議な力や魂が信じられています。

一方、英国は征服の歴史の中で外来語に影響され、多様な言語文化を発展させました。英語母語話者の数はシェイクスピアの時代(1564-1616)わずか500万人ほどでした。英国はローマ帝国に征服され(AD 43-430)ラテン語が入り、その後バイキングに征服され(AD 600〜)ゲルマン語が入り、最後にフランス人王William Conquerorが英国を統一(AD 1066-1083)しました。その後はフランス語が大量に入り300年間もその影響を受けました。1215年にはフランス語が公用語として認められ、上流社会はフランス語を話していました。現在の英語の語彙数は50万語、80カ国で使用されています。51000万人が英語を母語とし、公用語や外国語としての英語の使用者数は世界第一位です。英語はもはや英米人の母語だけでなく、世界の人々のコミュニケーションの手段です。

まず、英語の日本文化における受容の例を見て見ましょう。Boys be ambitious.は有名なクラーク博士の言葉ですが、明治時代の人はこの野心を持てという言葉に驚きました。当時の野心とは明智光秀の謀反を連想させるので、「少年よ大志を抱け。」に変りました。

次にYesNoの違いは厄介です。英語はどんな文脈でも否定はNo、肯定はYesですが、日本語には「はい」と「いいえ」が文脈によって異なり、へりくだったり、励ましたり、慰める場合に限り、「いいえ」を使います。「外国語が堪能ですね。」と言われると、「いいえ、それほどでもありません。」と否定します。また、「私はやっぱり自信がありません。」と相手が言うと、「いいえ、やってみなければわかりませんよ。」と励ますことがあります。一方、英語ではDo you mind my smoking? に対して、気にしないなら、No と答えます。日本人は言語文化の違いでよくYesと答えてしまいます。

日本で使われる英語も一部英米人には驚きをもってみられます。Terminal Hotelは最終的なホスピスのように聞こえます。Clean Staffと書かれた制服を英米人はとても清潔な職員と理解してしまうので、正しくはCleaning Staffです。イギリス人の友人と近くの喫茶店に行くと、英語でMorning Serviceと書かれていたので、「この喫茶店では朝の礼拝をするのですか。」と聞かれました。ビールのSuper Dryは極度に乾燥せよ!という意味であり、本来は英国発祥の服のブランド名です。

一つの言葉が持つ意味内容も言語によって異なります。英語のplayと日本語の「遊び」は異なります。英語のplayは個人として得られる肉体運動や刺激を得て、自分の身体を充実させることです。しかし、やまと言葉の遊びは広辞苑によると、「日常的な生活から心身を開放し、別天地に、身をゆだねる」とあります。芭蕉にとって、遊びは、日常の自分を抜けだして、自然に身を置いて旅をしながら俳句を楽しみことのように思えます。土地や金を遊ばせる、江戸っ子の遊び心が歌舞伎を盛んにし、人は日本を離れて遊学します。栗田勇氏(2010)は「日本の文化や文学においては、ハンドルの「あそび」に象徴されるこうした基本理念が非常に重要で、これこそに日本文化そのものだ。」と言っています。

 次に日本語と英語の文化的差異について見てみましょう。国語学の金田一春彦(2002)は「義理」「厄介」「人情」などの日本語は英語に訳しづらいと書いています。確かに、文化相対主義を標榜したルース・ベネディクトが、天皇制の存続にまで影響を与えた名著「菊と刀」を著し、「恥の文化」を西洋世界に説明するまでは、恥・忠・義などを基調とする文脈の高い社会(High Context Society)の言語文化は西洋人にとって、不可解でした。「以心伝心」や「一を聞いて十を知る」「秘すれば花」のような表現は日本文化を表象しています。 

意見の対立に関しても、I cannot agree with you, but I will defend to the death the right to say it.(私はあなたの意見には同意できないが、その反対意見を言う権利だけは死守します。)という信念を持った個人主義の国から来た人に「話せばわかる」という言葉も理解しがたいです。「和を以て尊しとなす」の日本文化と反対意見により物事をより客観的に見る欧米文化との違いかもしれません。英国では子供でも納得がいかなければ、I am not convinced.と言い、幼い子供に僕はあなたに説得されていないと言われました。

愛情表現に関しては、人前で優しく手を握り続けるイギリス人夫婦に対し、日本人は照れ臭さを感じます。しかし、朝一番に”Good morning a little flower.”とキスの挨拶でその日を始まめるイギリス人にとって、愛情表現は自然なことです。逆に、明治の文豪がI love you. を「死んでもいい」、「あなたといると月が綺麗ですね」と訳したのもいきですね。

一方、外来語が母語の中で豊かな表現力を発揮する場合もあります。「今、未来のとびらを開けるとき、悲しみや苦しみが、いつの日か、喜びに変わるだろう、I believe in future 信じてる。」という歌詞があります。NHK生きもの地球紀行のテーマソングで、卒業式では日本の子供達が心をこめて歌いました。このBelieveの歌詞を締め括る素敵な英語は優しさのある日本語の歌詞に抱かれ、輝いています。

反対のケースですが、コペンハーゲンのDanish大学で開催された2004年のCESE (ヨーロッパ比較教育学会)の開会式で、ロンドン大学のRobert Cowen会長が”What the world needs is the heart of Haiku.”と言われました。自然を愛し平和に導く俳句の心こそ、今の世界には必要だと力説され、多くの参加者の賛同を得ました。英国人にとって外来語であるthe heart of Haiku(俳句の心)という言葉が今も私の心の中で優しく木霊するのです。

結論になりますが、外来語の受容に際し、母語の意味を曲解せず、個々の言語文化への尊敬の念と学びが大切です。グローバル化の嵐の中で、毎日のように世界の少数民族の言語文化が消失しつつあります。今こそ、私達のすばらしい言語文化を次世代に継承しながら、日本語の美しさやその感性を外国に伝えることが必要です。侵略や国家の言語政策でなく、市井の人々による外来語の受容と発展こそ、異文化交流の証ではないでしょうか。  (中村耕二) 2011年 10月7日